2011年3月17日木曜日

その日に何が起こったか

2011年3月11日。
すでに6日前の話。

大地震の日の話です。いろいろ思うところもあったのですが、自分の中でいろいろ整理がつかず、ブログにもTwitterにもなーんにも書けない日々を過ごしていました。
今は暖房が切れて寒ーい電車のなかえ書いています。手がかじかむ。

地震でわかったのは、この国の強さと弱さでした。


大地震当日、私は新宿の高層ビルで、セミナーの講師をしていました。
たしか15Fくらいでした。
で、1度目の揺れ。これはでかいな、と思いつつも地震の国日本で生まれ育ちましたから、そんなに動揺もなく、揺れが治まるのを待ち、セミナーを続けました。
PCの画面を見ながら話していたのですが、その際に目に飛び込んできたのが、「岩手県、津波10メートル以上、到来済み」という表記。

10メートル? なんだそれはと。
そして2度目の揺れ。これはまずいことが起きているんじゃないかとやっと思いました。

主催者の方の「今日は中止で」という声で中止になり、そこから情報収集です。
社内連絡用でSkypeを使ってましのたで、Skypeを立ち上げてみると、書棚から書類の類は落ちたようでしたが、特にけが人はいないとありました。
電話をしたけどつながらない。自宅もそうでした。

ワンセグにてテレビを見ると、「なんだこりゃ。。」

いつまでも新宿にいるわけにもいかず、電車が動いているわけもなく、とぼとぼ歩きながら九段下にある会社に戻ろう、途中でタクシーを拾おうと思ったわけですが、当然、タクシーなどつかまりません。
新宿から九段下に歩いた経験はありませんでしたから、意外な発見もいろいろあったそれなりに楽しいウォーキングでした。なお、この時はそんなに危機感なし。
電車は何時ごろに動くかな、たぶん3時間くらいは動かないから、今日はしっかり残業して、確定申告を終わらせよう!(私は税理士業)くらいに思ってました。

道すがら、たくさんの外国人(観光客)が困ってました。
ホテルに帰る道がわからないようで、四ツ谷あたりでおまわりさんに「銀座はどっち?(英語で)」と一生懸命聞き、おまわりさんは、「ゴーストレート!」と大声を張り上げ一生懸命説明していたのが印象的でした。
四ツ谷から銀座までの歩き方なんて日本人にも説明したことはなかろうに。。

道路はびっしり。まったく車は動いていません。
途中、寒いのでコンビニであったかい食事を買おうとしても、なーんにない。高校生たちは道端でカップラーメンを食べてましたが。
店に入ると酒飲んじゃって、帰社してから仕事するのが億劫になりそうだから、店に入るのはやめ、歩き続けました。

2時間半歩き、やっとたどり着きました。わが社に。
エレベーターが動いてません。意外なことにほとんどの社員は浮足立たずに仕事を続けてました。
まだ、電話は通じない。
家族への安否確認ができません。
まあ、死んじゃいないだろうと高をくくってましたが。

TwitterとFacebook、Skypeで繋がっていた人とは新宿から九段下への道すがらで連絡はずっとついていました。

あ、駅につきそうだから続きはまた。

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